トリノで始まったインターメカニカの歴史
| カナダに本拠地を置くインターメカニカインターナショナル社(IM社)は現在ではポルシェ356とキューベルワーゲンのレプリカを生産しています。 しかし、もともとは60年代からは本拠地をイタリアのトリノに置き、オリジナルデザインのスポーツカーを生産していたことはあまり知られていない。 1959年に設立されたIM社はルノー、シムカ、プジョーなどのスピードキットを手がけていました。1960年にはプジョーのエンジンをチューンしたクラス最速マシンを売り出したりもしています。 そして同年には初めてのオリジナルカー『IMP』を開発しました。空冷2気筒500ccの水平対向エンジンをリアに積んだ2座の小型スポーツカーでベースはシュタイア・プフ(フィアット500のボディとシャーシとフロントサスペンションにオリジナルのエンジンとミッションを載せたクルマ)。 ヒルクライムやレースではアバルトをも打ち負かして、優勝するなど輝かしい功績を残したクルマでした。しかし、フィアットグループのアバルトを負かしたことから、フィアット社からパーツの供給を止められ21台しか生産できなかったそうだ。 |
他のレプリカとは一線を画した質感と存在感。そしてオリジナルをしのぐ耐久性、運動性能、快適さを手に入れた。![]() IMPでアバルトを負かした ![]() シュタイア・プフ |
名車を次々とリリース!知らざれぬインターメカニカの栄光!
![]() コンピュータで制御された最新のクルマを横目に駆け抜ける快感はインターメカニカ独特の楽しさだと思います。あなたの人生をきっと楽しいものにしていただけることでしょう。 幻の名車アポロGT![]() 現在も人気イタリア |
1961年からは名車『アポロGT』を開発。フェラーリのような美しいボディにビューイックのV8エンジンを積んだスポーツカーは100台程度生産された。
1965年にはTVRグリフィスで名を残したジャック・グリフィスとのプロジェクトでアポロGTのスチールボディの生産契約をした。生産開始早々ジャック・グリフィスの会社が倒産し、初期のロット33台は『グリフィス』と呼ばれる予定だったが『オメガ』の名前で販売された。その後フォードのV8を載せ『トリノ(のちにイタリアに変更)』と名づけて販売。70年までに約500台が生産された。 その後GMグループのオペルと契約し、オペルのコンポーネンツを使いシボレー351のエンジンを積んだ『インドーラ』(デザインはフランコ・スカリオーネ)は125台が生産された。73年のニューヨークショーに出品されたインドーラは多数のバックオーダーをかかえるほど大成功を収めたが、GMが急遽オペルもシボレーも両方のパーツの供給をストップ。理由はオペルがインドーラに変わるモデル『ビッターCD』を発売したから。 そのためIM社は苦境に陥ることに…。ビッターCDはインドーラのコピーだと裁判に訴えられ現在も係争中だとか。。。 その後シボレーエンジンを使えなくなったインドーラはフォードエンジン載せアメリカに生産拠点を移す。ところが移住した1ヵ月後に計画がキャンセルに!IM社は35万ドルの損をした。 |
世界中の356ファンも一目置く存在
一人の日本人により新たな歴史が幕開けた
ポルシェ356の大ファンであった兵庫県加古川市在住の一人のレストランオーナーがいた。氏は何度レストアしても思うように仕上がらず故障を繰り返すポルシェ356に嫌気がさしいたそうです。ある日雑誌でインターメカニカ356スピードスターを見て、IM社なら満足のいく356を作ってくれるに違いない!との思いにより、単身カナダのIM社へ乗り込み「ワシに1台作ってくれ」と直訴したことが現代のインターメカニカ356ロードスターの起源であり、世界が認める356レプリカの歴史の始まりでもある。
その男こそ、現在日本でインターメカニカを販売する「堀井正明」氏。20年間の彼の努力とアイデアにより、形だけはポルシェ356でも性能はワーゲンビートルの域を超えることが出来なかった356レプリカが、ついにオリジナルポルシェ356の性能もクオリティも超えた本物以上のクルマになった。堀井氏なくしてインターメカニカは語れないのだ。
その男こそ、現在日本でインターメカニカを販売する「堀井正明」氏。20年間の彼の努力とアイデアにより、形だけはポルシェ356でも性能はワーゲンビートルの域を超えることが出来なかった356レプリカが、ついにオリジナルポルシェ356の性能もクオリティも超えた本物以上のクルマになった。堀井氏なくしてインターメカニカは語れないのだ。






幻の名車アポロGT
